「ゆく河の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。」
——鴨長明『方丈記』(1212年)
鴨長明がこれを書いたのは、京都が養和の飢饉、元暦の大地震、福原遷都と立て続けに激変した時代だった。彼は単なる「無常観」を詠んだのではない。変化の渦中に生きる一人の人間として、何が流れ去り、何が残るかを記録した。
今、僕らも同じ地殻変動の中にいると思う。
去年、僕は個人でハードウェアを作った
去年の秋、僕は28mmの丸い基板を設計し、JLCPCBに発注し、中国から届いた基板にESP32-S3を載せ、Rustでファームウェアを書いた。BOMは24ドル。ほぼ一人で、週末に。
Koe Deviceという、群衆を楽器にするデバイスだ。1台は音声入力デバイス。100台がフェス会場に並ぶとオーケストラになる。そのプロトタイプ基板を、僕は個人で作った。
5年前の僕に言っても信じなかっただろう。Mercariでプロダクトを率いていた頃、「ハードウェアを個人で作るのは無理」と即答していた。回路設計には専門家が要る、製造には工場が要る、ファームウェアには組み込みエンジニアが要る、と。
その前提が崩れた。僕の話ではなく、時代の話として。
デスクワークという「よどみ」が消える
パワポを作る、議事録を取る、メールを書く、Excelを整える。コードを書く、デザインを起こす、法律文書を読む、翻訳する、広告コピーを書く。
これらはすべて「情報を右から左に動かす仕事」だった。AIは、この「動かす」を自動化する。
「デスクワーク」という概念は、よどみに浮かぶうたかただったのかもしれない。高度経済成長からバブル、IT化を経て数十年のあいだ水面に浮かんでいたが、AIという流れに触れて消えつつある。
消えるのが悪いことだとは思わない。産業革命で肉体労働の多くが機械に移ったとき、人類は豊かになった。IT化で単純事務が消えたとき、新しい職種が生まれた。今回も同じ流れだ。違うのは、速度だけ。
ソフトウェアが「素材」になった
かつてソフトウェアは"作品"だった。
2015年に3人のエンジニアが3ヶ月かけて数百万円で作るもの。熟練した技術者の手仕事。完成したらリリースして、バグを修正して、少しずつ改善していく、丹精込めた工芸品。
今は違う。ソフトウェアは木材や粘土と同じ「素材」になりつつある。
僕は今、7〜10のプロダクトを同時並行で動かしている。柔術プラットフォームのJiuFlow、AIチャットのchatweb.ai、経費管理アプリのパシャ、スマートホームアプリのKAGI……。それぞれを「チーム」ではなく、Claude Codeと自分の1〜2人で回している。
10年前なら各プロダクトに3人チームが必要だった。今は1人とAIで回る。これが何を意味するか。参入障壁がゼロに近づいたということだ。
SaaSという業態は、2030年には形が変わるかもしれない。顧客が自分で作れるようになるから。
そして、ハードウェアが次の「素材」になる
ここが一番言いたいことだ。
ソフトウェアで起きたことが、ハードウェアで始まっている。
- 基板設計(PCB): AIが回路図を補完し、設計を検証する
- 製造: JLCPCBで個人発注、Bambu Labの3Dプリンタが$500で手に入る
- ファームウェア: Claude Codeが割り込みハンドラを書く
- 認証: 技適・FCC申請書類もAIが下書きする
冒頭で書いた僕のKoe Device体験は、「俺天才」ではない。このエコシステムが整ったから、素人でもできた。
2030年には、個人がハードウェアを作ることが今のアプリ開発と同じくらい普通になる、と僕は思っている。少し大げさに言えば「2030年、メルカリに並ぶ商品の30%は個人製造品になる」かもしれない。
AIとは「自動化エンジン」だ
一歩引いて整理したい。
AIは「考える機械」ではなく、**「自動化を加速するエンジン」**だと僕は定義している。
歴史を一本の矢で見ると:
蒸気機関(物理労働の自動化)→ コンピュータ(計算の自動化)→ インターネット(流通の自動化)→ AI(認知・創造の自動化)→ ロボット(物理の再自動化)
AIは革命の終着点ではなく、自動化という河の途中の流れだ。河は次に物理世界に向かっている。AIが設計し、ロボットが製造し、リアルな世界が書き換わる。
柔術をやっていると、これが実感としてわかる。どれだけAIがコードを書いても、寝技は自分の体でしか覚えられない。物理への揺り戻しは必ず来る。
人間に残るもの
全部AIがやるなら、人間は何をするのか。
答えは2つだと思う。
「Why」と「Who with」だ。
AIは「How」を全部持っていく。何をどう作るかは、AIが圧倒的な速さと正確さで答えを出す。でもAIには「なぜ作るのか」と「誰のために作るのか」はわからない。
それだけではない。体験そのものはAIに置き換わらない。柔術の帯の色、子供の寝顔、ハワイの海で飛び込む瞬間。生身の自分が感じるものは、どれだけ精巧な生成物にも代替されない。
方丈記に戻ると——長明が3m四方の「方丈」の庵に籠ったのは、逃避ではなかった。変化の渦中で、「自分にとって本当に必要なものだけ」を選び取った結果だ。
AIが「How」を全部処理してくれる世界で、僕らに問われるのも同じことだと思う。
「あなたの仕事は、うたかたか、庵か?」
締め
「AIの次はハードウェア」と言うと技術予測に聞こえるかもしれないが、僕が本当に言いたいのは別のことだ。
河は絶えず流れる。水は入れ替わる。
大事なのは流れを恐れることじゃなく、自分がどこに立つかを決めることだ。
ソフトウェアが素材になり、ハードウェアが素材になり、やがてロボットが物理を書き換える時代。「作ること」そのもののコストがゼロになっていく時代に、残るのはたった一つの問いだ。
「あなたは何を作りたいのか。」
AIは、その答えを出せない。