建築とは、空間に翻訳された時代の意思である。
先日、北海道弟子屈でSIPsパネルの小屋を設計しながら、ふとこんなことを考えた。
ソフトウェアとは、デジタル空間に翻訳された時代の意思である。
Mercariでプロダクトを作っていたころ、コードを書くことは「機能を作ること」だと思っていた。でも今は違う。コードを書くことは、ある時代がどういう世界を信じていたかを、動く形にすることだと思っている。
Googleは「すべての知識に、誰でもアクセスできるべきだ」という信念が動くプログラムになったものだ。iPhoneは「コンピュータは、ポケットに入るべきだ」という意思が形になったものだ。
これは建築でも同じだ。
「住むための機械」
1923年、Le Corbusierは言った。
"Une maison est une machine-à-habiter." 「家とは、住むための機械である。」
当時の建築界には衝撃だった。家は芸術作品ではない、機械だ——という宣言。でもこれは単なる挑発ではなく、産業革命が生み出した時代の意思の表明だった。機械が世界を変えている時代に、建築もその論理で設計されるべきだ、と。
同じころ、Mies van der Roheは言った。
"Less is more."
装飾を削ぎ落として、構造そのものを美しくする。これも時代の意思だ。過剰な装飾の19世紀から、機能の純粋さを求める20世紀へ——その転換を、建築という形で表現した。
形になったものは、残る
建築とソフトウェアと音楽には共通点がある。
作った人間よりも長く残る。
パルテノン神殿は2500年前の意思が今も立っている。バッハのフーガは300年前の思想が今も演奏される。UNIXのコアな思想(小さく、組み合わせ可能に)は50年経っても生きている。
その永続性が、作ることを面白くする。
自分が書いたコードが、自分がいなくなっても誰かに使われている。自分が設計した建物が、100年後も誰かの日常を形づくっている。自分が作った曲が、自分の死後も誰かの耳に入る。
これは不気味なことではなく、むしろ特権だと思う。人間は本来、生きている間しか何も残せない動物だ。でも形にしたものだけは、時間を超えられる。
SOLUNAをやっている理由
今、SOLUNA という共同所有型リゾートのプロジェクトをやっている。
北海道の原野に、SIPsパネルで小屋を建てる。ハワイのヴィラを、複数人で持つ。不動産を「買って運用する資産」ではなく、「オーナーたちが一緒に使う場所」として設計する試みだ。
これをやっている理由を一言で言うと、建築を、もっと多くの人が自分ごとにできるようにしたいから。
Le Corbusierが言ったとおり、家は機械だ。でもほとんどの人は、その機械を自分で設計しない。プロに任せて、できたものを買う。
SOLUNAは、オーナー自身がワークパーティで3日間かけてキャビンを建てる仕組みを持っている。自分たちの小屋を、自分たちで組み立てる。そのとき初めて、建築が「誰かが作ったもの」から「自分たちが作ったもの」になる。
自分で何かを作ることについて
ソフトウェアを作ること、建築を設計すること、曲を作ること——これらに共通するのは、頭の中にしかなかったものを、世界に存在させる行為だということだ。
これをやった人間は、世界が少し違って見えるようになる。道を歩いていて建物を見たとき、「この壁はどう施工されているんだろう」と考えるようになる。使っているアプリを見て、「このUXはどういう意思決定で生まれたんだろう」と考えるようになる。聴いた曲のコード進行が気になりはじめる。
世界が作られたものの集積として見えてくる。そしてそれは、世界は変えられるものだという感覚につながる。
あなたも、何かを建ててほしい
このブログを読んでいる人に伝えたいのは、「創る側に回ってほしい」ということだ。
コードを書かなくていい。設計図を引かなくていい。ただ、自分の意思を形にする経験を一度でもしてほしい。それが小さなDIYプロジェクトでも、LLMを使って作った小さなツールでも、友人と3日かけて建てた小屋でも。
形になったものは、残る。そして残るものを作った経験は、あなたの中に残る。
もし「一緒に建てるところから始めてみたい」と思ったら、SOLUNA を見てみてください。北海道の原野でオーナーたちが集まってキャビンを建てるワークパーティ、今年の秋に予定しています。
建築とは、空間に翻訳された時代の意思である。
その意思を、あなたのものにしてほしい。
濱田優貴 — Enabler CEO / SOLUNA共同創業者 / 元Mercari US Head of Product